第1回「終わったものに命を吹き込もうとした音楽家」

ソナタ、ワルツ、変奏曲——クラシック音楽には様々な形式がありますが、フーガほど特殊な性格を持つものはないでしょう。フーガとは、対位法と呼ばれる複雑な規則に則った、模倣様式で書かれた多声音楽を指します。

フーガの著しい特徴は、最初に独立して演奏されるメロディー(主題)が全体を通じて執拗に繰り返される点です。例えばポピュラーソングでは、「Aメロ〜Bメロ〜サビ〜間奏〜」のような旋律の繋がりがよく見られます。一方フーガの場合、「Aメロ〜A’メロ〜間奏〜A”メロ〜間奏〜Aメロ〜」のように、Aメロが様々な調性に変化しながら楽曲全体に渡って演奏されるのです。こうした性格のため、フーガはドラマチックな変化に乏しく地味な曲が多いと見なされており、クラシック音楽の中でも玄人向けの形式だといえるかもしれません。

とはいえ、J.S.バッハのフーガは、誰しも一度は聴いたことがあるでしょう。学校教育で取り上げられる「小フーガ ト短調」をはじめ、“ピアノの旧約聖書”とされる曲集『平均律クラヴィーア曲集(I,II巻)』、フーガ芸術の到達点である曲集『音楽の捧げもの』、そしてフーガの可能性が極限にまで追求された曲集『フーガの技法』といった作品はよく知られています。特に『平均律クラヴィーア曲集(I,II巻)』はハ長調からニ短調に至る24の全調性での「前奏曲とフーガ」のセットで、フーガ形式そのものの基準・完成形として後のフーガに甚大な影響を与えました。

というよりも、J.S.バッハによってフーガという形式が極限にまで探求され、究極の完成度の楽曲が生みだされたことは、良くも悪くもフーガの歴史における折り返し地点でした。バッハ以降の誰しも、フーガと聞くとバッハのことを想起せざるを得ませんし、フーガの基準はバッハの作品になってしまったからです。あまりにも偉大な到達点を持ったフーガという形式は、そのためにバッハ以降にはかえって停滞することとなりました。

それは例えば、ベートーヴェンが至高の交響曲を作曲したこととは少し違っていたのです。確かにベートーヴェンの交響曲は、超えがたい高峰のような作品群でした。しかしそれは多くの人を触発し、新たな交響曲を生みだす母体ともなりました。一方フーガの場合は、音楽を巡る社会的状況の変化とも相俟って、バッハ以降には遂に音楽シーンの主役となることはなかったのです。

いわば、バッハ以降、フーガという形式は「終わったもの」「過去のもの」と扱われたのです。確かに音楽院ではフーガの作曲が重要な教程となり、込み入ったフーガを作曲できることは最近に至るまで作曲家の技倆を示すものでしたし、バルトークやストラヴィンスキーはここぞという時にフーガ形式を使いました。それでも一般には、やはりフーガは過去の音楽と見なされていました。

しかしフーガは完全に忘れられた形式だったのではありません。音楽シーンの主流とは違うところでフーガに拘り、やむにやまれずフーガを作っていた音楽家は意外に多いのです。この連載では、フーガという「終わったもの」に命を吹き込もうとした音楽家とその作品を紹介していこうと思います。

 

【追記】
フーガの歴史については、 マルセル・ビッチ/ジャン・ボンフィス著『フーガ』(文庫クセジュ)が詳しく、私自身、おおいに参照させてもらいました。同書はフーガ形式成立の歴史を述べるもので、バッハのフーガを頂点と位置づけ、それまでの音楽家の試みを丁寧に追っています。しかしバッハ以降のフーガについてはベートーヴェンを除いてほんの少ししか取り上げていません。まるでバッハ以降のフーガは歴史の余録でしかない、とでもいわんばかりに。

それは、上述の通り一面の事実ではあります。結局、バッハ以降には、バッハを超えるフーガを書いた音楽家は誰一人いませんでした。しかしフーガの歴史は終わっていたわけではありません。私は、同書では省略されたバッハ以降のフーガを巡る営みを繙いてみたいと思っています。

 

↓バッハ『フーガの技法』(Contrapunctus 7から始まります。演奏はMusica Antiqua Köln(ムジカ・アンティクヮ・ケルン))

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