第5回「ソナタとフーガ——ハイドン(1)」

モーツァルトが不遇だった時期に、彼を「百年に一度の天才」と言って憚らなかったのが、モーツァルトより24歳年上のヨーゼフ・ハイドンです。モーツァルトはハイドンから大きな影響を受けており、彼の『ハイドン弦楽四重奏曲』(ハイドンに献呈されたためこの呼び名がついた)はその顕著な例です。また「ジュピター交響曲」の終楽章のフーガも、その先蹤をハイドンに負っています。ソナタの終楽章をフーガで締める、という構成はハイドンが確立したものなのです。

「ソナタ」とは、元々は単に器楽曲という意味でした。ですから、ソナタとは音楽の形式や内容を示す言葉ではなかったのですが、器楽曲が大規模化し複数楽章で構成されるようになると、第1曲目(第1楽章)がオープニングテーマとして重要なものとなり、ソナタの第1楽章によく使われる音楽形式が「ソナタ形式」と呼ばれるようになりました。これは、提示部・展開部・再現部という3つの部分を持ち、その中で対照的な性格の2つのテーマが一定の転調を経て最後には統合される、という筋書きの形式です。つまり、ややこしいのですが「ソナタ」と「ソナタ形式」は全く別のものを示す言葉であるということに注意して下さい。

ところで、古典派のソナタは3〜4楽章で構成されるのが普通です。その全ての楽章をソナタ形式で作ると同じような展開の曲ばかりになってしまうため、第1楽章はソナタ形式、第2楽章は変奏曲、第3楽章はメヌエット…というように、曲の緩急を交え、多様な形式の曲で構成することにより、聴くものを飽きさせない工夫がなされていきます。中でも、ありとあらゆる工夫を行って「ソナタ」の常道を完成させたのがハイドンでした。特にハイドンが大量に作曲した弦楽四重奏曲と交響曲は、その変転がソナタの完成過程そのものといえる作品群となっています。

その中に『太陽弦楽四重奏曲』(1772年)と呼ばれる6つの弦楽四重奏曲(全て4楽章構成)があります。この曲集の際だった特徴は、うち3曲の終楽章がフーガだということです。ハイドンはカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの影響で技巧的なフーガを伴う弦楽四重奏曲を作曲したと言われており、ハイドンは「彼[C.P.E.バッハ]は父親で、われわれは子どもである」という言葉を残しています。

ハイドンは他にも終楽章をフーガで締める曲をいくつか作曲しました。最も早い例は『交響曲第13番 ニ長調』(1763年)。この終楽章は、ジュピター主題(「ジュピター交響曲」終楽章のフーガ主題)がフーガ風に展開していくもので、モーツァルトはこれを手本にしたのかもしれません。他にも『交響曲第70番 ニ長調』(1779年)、『交響曲第95番 ハ短調』(1791年)などがあります。

ハイドンはその生涯の多くをエステルハージ家の宮廷楽長として過ごしました。その居城はヨーロッパの音楽シーンの中心から遠く離れた寂しい田舎(現ハンガリー領)にあり、ハイドン自身、田舎にいる不利を感じていたのですが、その隔絶した環境から古典派音楽のスタンダードが生まれていったのです。終楽章をフーガで締めるやり方は、やがて大きな潮流となっていきます。

【参考文献】大宮真琴『新版 ハイドン(大作曲家・人と作品2)』
シルヴェット・ミリヨ著、山本 省 訳『弦楽四重奏曲』

 

↓Haydn: Symphony No. 70 - NDR Sinfonieorchester/Hengelbrock (2011)

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